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飛龍 (空母) : ミニ英和和英辞書
飛龍 (空母)[ひりゅう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ひ]
 (n) (abbr) rook (shogi)
: [りゅう]
  1. (oK) (n) (1) dragon 2. (2) promoted rook (shogi)
: [そら]
 【名詞】 1. sky 2. the heavens 
空母 : [くうぼ]
 【名詞】 1. aircraft carrier 
: [はは]
 【名詞】 1. (hum) mother 

飛龍 (空母) : ウィキペディア日本語版
飛龍 (空母)[ひりゅう]

飛龍(ひりゅう)は、大日本帝国海軍航空母艦#達昭和10年11月p.6『達第百三十九號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十年度ニ於テ建造ニ着手ノ航空母艦一隻ニ左ノ通命名セラル|昭和十年十一月二十二日 海軍大臣大角岑生|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 航空母艦 飛龍ヒリュウ』〕。開戦以降、帝国海軍の主力空母の1隻として活躍、1942年(昭和17年)、ミッドウェー海戦にて沈没した。同海戦で沈没した4空母のうち当初は被弾を免れ、山口多聞少将の指揮下、米空母ヨークタウンを撃破したことで知られている。
== 概要 ==
昭和9年度海軍軍備補充計画(通称・マル2計画)で建造された中型空母である。当初は蒼龍型の2番艦として計画・建造されていた。だが軍縮条約破棄により設計の自由度が増したため、飛行甲板幅を1m広げ艦幅を若干太くし〔#飛龍生涯25頁〕、さらに第四艦隊事件による船体構造溶接化の破棄〔#飛龍生涯26頁〕、凌波性向上のため艦首1m・艦尾40cm乾舷を高めるなど蒼龍とは違う図面で建造された空母となった〔#飛龍生涯28頁〕。基本計画番号G10〔阿部安雄「日本空母の整備計画」#日本航空母艦史p.154の第一表 日本空母基本計画番号。〕。文献によっては、蒼龍と同型艦にするか、独立させるかで意見が分かれる。蒼龍と同様、少なめに見積もった数値(基準排水量1万トン、全長209.84m、最大幅20.84m)を諸外国に通告している〔「第4012号 11.8.27飛龍」p.2〕。命名式にはトルコ士官学校生徒も立ち会った〔「第5768号 12.11.6 土耳古国海軍学生飛龍命名式見学の件」〕。
外見上最も目立つ点は左舷中央に島型艦橋を配置している点で、左舷に艦橋を配置しているのは世界の空母の中でも珍しく、日本では改装後の赤城とこの飛龍の2隻のみである。
この左舷への艦橋設置については、1935年(昭和10年)に海軍航空本部長から艦政本部長あての『航空母艦艤装に関する件照会』で定められた「赤城の大改装および、飛龍以後の新造艦からはできるかぎり艦橋と煙突はそれぞれ両舷に分けて設置し、煙突は艦後方、艦橋は艦の中央付近に設置する」に従っている。煙突と反対側に艦橋を設置することによる利点として、船体が左右均等に近くなり造艦上有利となる、士官室からの艦橋への交通が有利となる、格納庫の形状が良好となる、といった点が挙げられていた〔学研パブリッシング『決定版日本の航空母艦-太平洋戦史スペシャル3』p47、(学研マーケティング〈歴史群像シリーズ〉2010年4月)--参考文献〕 。また艦隊内の連絡を取る時は発光信号を多用するのだが航空母艦特有の低い艦橋と荒天時の視界不良、飛行甲板による阻害、灯火管制等の理由により各航空母艦の偶数番艦は艦橋を左に配置され、蒼龍と並走する場合の航行序列はお互いの艦橋が近くなるように飛龍は右、蒼龍は左とされており、第一航空戦隊と並走する航行序列の場合には第二航空戦隊旗艦が飛龍であったにも関わらず蒼龍が前になり、左艦橋の赤城の左には右艦橋の蒼龍が配置された。この左艦橋配置については翔鶴までが該当するのだが、赤城、飛龍の運用で艦橋を左へ配置する事から発生した障害により翔鶴は建造途中で艦橋を右に変更されている。また従来の日本空母より艦橋が後方に設置されたので、視界確保などの理由で羅針艦橋は蒼龍のものよりも高くなっていた〔#飛龍生涯29頁〕。
実際に赤城と飛龍で左舷中央付近に艦橋を設置したところ、煤煙が艦橋に流れ込む、気流が乱れて着艦しづらくなる等のデメリットが生じた〔#川崎戦歴19-20頁〕。そのため翔鶴は建造中に艦橋を右舷前方へ、元々右舷艦橋であった瑞鶴も前方へ変更され、煙突はその後方に移動するという設計変更を行い〔#川崎戦歴43頁〕、飛龍以降に新造及び改修された航空母艦は全て右舷艦橋で建造されている。
防御面では、機関室と舵取機室は駆逐艦の5インチ砲にガソリンタンクと弾薬庫は巡洋艦の8インチ砲に耐える装甲を施しているが、飛行甲板の防御は考慮されていない〔#飛龍生涯26-27頁〕。また、飛龍を含め日本空母はダメージコントロール面でも損傷時の対策への装備や設備の甘さなどが目立ち、それがミッドウェーに於ける喪失に繋がった。それ以外の点については概ね良好であり、弾火薬庫の冷却の余りを利用した艦内冷房も一部実施している〔#飛龍生涯38頁〕。以後、日本海軍は飛龍・蒼龍を日本空母の原型として設計、建造を行った。本級を拡大させた翔鶴型や、飛龍の線図を流用した雲龍型航空母艦が有名である。もっとも防御の脆弱さについて、日本海軍は現状で良いと考えていたわけではない。実際に飛行甲板に装甲を施した大鳳型航空母艦改大鳳型航空母艦が建造、あるいは建造予定であった。
飛行甲板後端には、上空からの識別のために片仮名で「ヒ」の文字が記入されていた時期もある。エレベーターは3箇所あり、前方から16×12m、12×11.5m、10×11.8mである〔。航空機のサイズの方が大きいため、零式艦上戦闘機九七式艦上攻撃機など、いずれも翼を折りたたみ、エレベーターに乗せられるような設計となっている。飛龍の飛行機格納庫は二層にわかれており、このエレベーターで航空機を飛行甲板に運んだ〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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